住まいに携わることは子ども達に残す仕事。不動産の家庭教師の嶌田(しまだ)です。
先日の司法書士試験を受けるにあたり、資格取得のための勉強をしてみての本音です。
資格と資格勉強の違い
資格は結果が大事。資格勉強は得た知識を実務に活かせるプロセスが大事。
そのプロセスの在り方が意味も価値も生みます。実際、法を改めて勉強したことで不動産トラブルの対処に迷いも淀みもなくなった実感が半端なく、確固たる自信をもってご相談に臨めまるようになりました。
有資格者で実力がない人と、資格は無くてもやたらと仕事ができる方。資格を不要とするお仕事なら、どちらが人の助けになり、心も経済も満たされていることか。その想像は難しくないのではないでしょうか。
資格は職権をもたらしてくれます。許される業務があります。そこに必要なだけです。
合格者がすべてを把握しているわけじゃありません。その現実を『人を視る起点』にしてきたことで、コストカットとお客様満足度に貢献してきたから申し上げられることです。
有資格者が携わろうと、その結果や仕上がりが変わらないなら専門家の選び方で、私はお客様への実質貢献度に寄与します。
資格が無いなりの強みの使い方
有資格者で、業界の慣習による実害解消に行動を伴わせている方の中には、こちらが資格を持っていないから警戒心なく本音を話してもらえることがあります。
こちらも有資格者だと、お相手はこちらの本音を探ることに時間を割くのは当然の心理。
消費者寄りの本音をすぐに聞けるのは無資格の特典かも。各業界をよく知る方の真っ直ぐな本音を聞けるって良いですね。
ちなみに、資格がないから驚かれるっていうのも、乙なもんですよ。
「よくご存じで!」「そうなんですよ!」こういった一言は関係性が一歩深まっていく合図。
偏らず、なにかの事象の反対意見も賛成意見も知っておく。その価値観の出処を把握していくほうが価値があると私は考えています。それが詰まるところ、お客様の価値観に沿い、その価値の加速と理想の実現を円滑にしますから。
「人生、いつまでも勉強!」と言っているのに資格の有無にこだわる方もいます。
あくまで私見ですが、私はちょっと違うと感じ、引いてしまう人です。言っていることと評価基準に矛盾?穴?を感じるんです。ただし、『本業で出来ない仕事を作ってしまう』なら資格保持は最低条件でしかないとも考えます。
無資格者なら理解者たれ
私は、本業をサポートする別分野の資格勉強は、その勉強自体が本業へのチカラの上乗せになると考えています。
本業の応用力も身に付きますし、お仕事をお願いするときには負荷を軽減した橋渡しができます。これが結果として、お客様にストレスを掛けない円滑なお仕事に繋がります。
また、ときには質の高い専門家の見分けにも繋がります。こちらが知らないと思い、いい加減な情報提供をする専門家は山ほどいますよ。
理解から生じるこうした連なりが、お客様からの信用に繋がっていくと信じています。
伝えたいこと
”中身を語れる人間が強い”ということです。実社会において最も尊重され、引手あまたになれる存在です。
資格も学校も、受験は受験。
受からなかったから進めない『職業』としての道は確かにあると思います。けれど、その他であれば”この学校でなければ意味も価値もない”ことは、そう多くあるとは思えません。
学歴含め『何があるから』よりも、『何をしてきたから』がモノを言える時代にとっくになっていますよね。本来価値でお仕事を為し、質の高い仕事を提供できている人たちの共通点です。
受験勉強をした価値を、結果だけで見られたとしても自分自身が「そうじゃない!」と言いきれる時間の過ごし方を見出していただけたら、このブログを書いた意味があったかなと思います。
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住まいに携わることは子ども達に残す仕事。
不動産のちからで生き方そのものを伝えたい。
不動産の家庭教師 嶌田 竜也
宅地建物取引士/相続士/住宅ローンアドバイザー
STRコミュニケーションアナリスト
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